yukihiro  ドラム サイズ.COM

yukihiro

ユキヒロ
1968年11月24日
ドラマー
千葉県市川市出身
L’Arc縲彳n縲廚ielのドラマー
P’UNK縲廢N縲廚IELのベーシスト
acid androidのヴォーカリスト、フロントギター
元Zi:Kill、DIE IN CRIESのドラマー
愛称は「ユッキー」
身長165cm
体重48kg
血液型はA型


1997年に前ドラムのsakuraの脱退を受け、L’Arc縲彳n縲廚ielにサポートドラマーとして参加、1998年1月1日付けで正式加入する。
ドラムセットの前にマイクを置いていたsakuraとは対照的に、加入当初は歌うことは殆ど無かったが、2003年の「Shibuya Seven days」ライヴ中、自作曲「trick」をhyde、tetsu、kenらとギターで演奏しながら共に歌う。そして後のacid androidでは本格的にヴォーカルをとっている。
ドラムだけでなくギターやプログラミング、P’UNK縲廢N縲廚IELではベースを担当。 他にも、2001年5月23日shibuya club asiaにてイベント「acid android in an alcove」を行ない、DJとしてステージに立った。『ark』収録の『Cradle』ではターンテーブルを、最近では『AWAKE』収録の『AS ONE』でスクラッチなどにて、その一部が垣間みられる。
L’Arc縲彳n縲廚iel内で作詞・作曲を手掛けた物は少ないものの、『ray』収録の『trick』やyukihiroが作詞した、『New World』はhyde以外のメンバーが作詞を手掛けた初のシングル作品であり、yukihiro初の日本語詞でもある。『KISS』に収録されている『spiral』では作詞・作曲を手掛けている。


Yukihiro Solo L’Arc~en~Ciel 2007



Yukihiro’s in AsiaLive



L’Arc~en~Ciel / HONEY -yukihiro-



L’Arc~en~Ciel / HEAVEN’S DRIVE -yukihiro-



L’Arc~en~Ciel / STAY AWAY -yukihiro-



L’Arc~en~Ciel / Shout at the Devil -yukihiro-



L’Arc~en~Ciel / 虹 -yukihiro-



L’Arc~en~Ciel / Driver’s High -yukihiro-



L’Arc~en~Ciel-jyojyoushi yukihiro



プレイとしては細かい手数を用いたフレーズとフィルインが特徴。
特にラルク加入以前は今よりも多くの手数を用いており、叩く姿も大振りなため派手でアグレッシブなプレイだった。
ラルクに加入してからシンプルであまり目立たないプレイを目指したためしばしば単調という評価をされがちだが、ゴーストノートなど一聴しただけではわからない繊細なドラミングをしている(手癖という説も)。
また、ラルクなどではツーバスを連打しつづける曲が少ないため「yukihiroはあまりツーバスを使わない」という印象を持たれているが、それは誤解である。
GUERRILLAというハードコアバンド出身でもあるため、本来はツーバスを駆使した速いテンポの曲も対応できるようだ。
また、『SEVENTH HEAVEN』を始め、打ち込みやブレイクビーツ(『New World』、『winter fall』、『spiral』、『DRINK IT DOWN』などで使用)を同期させたプレイやスリップビートなど変則リズムも多く採り入れたことで、結果的にはラルクの楽曲幅を広げることに貢献した。
尊敬するドラマーは上領亘。


ドラムセットの特徴
チャイナシンバル、ロートタム、ピッコロスネア、2バスを組み合わせた複雑なドラムセットの使用が特徴。
ドラムラックを用いて左右対称を意識して構築しており、その複雑さからしばしば「要塞」と形容されることもある。
セットは通常、パールの白の2バス・ドラムセット、MXシリーズにセイビアン製のシンバルを組み合わせたもので、スネアドラムは2006年末に発売されたyukihiroモデル(シェルが薄く高音域で、音のヌケが良いピッコロスネアタイプ)をドラムセットの中央に配置している(2007年7月現在)。
またスネアの前方にタムを一つ、さらに本人から見て右側にフロアタムが2つ備わっていて、前方のタムをはさんで右に2つ・左に1つ、それぞれ口径の違うレモ製の3種類のロートタムをセットしている。タムやスネアは地面に対して水平に設置されており、位置も低め。
しかし中央のチャイナシンバルだけはかなり高い位置にセットされている。このためライヴなどでは他のドラマーに比べて、上半身がより見えやすい。また、フットペダルにはPearl製の、エリミネーターではなく旧モデルを使用。右足側は右バスドラム、左足側は右から順に右リモートハット・左バスドラ・左リモートハット用のペダル(3つ)がマウントされていることが分かる。


シンバルに関しては、ハイハットシンバルはリモートハイハットが左右に1枚ずつ、クローズドハットが左側に1枚、合計3枚セットされている。
ハイハットを2枚配置するドラマーは比較的多いが、3枚配置することはあまりない。
右リモートハットとクローズドハットは、主に16ビートを刻む際に使われる。
例外としては『STAY AWAY』のサビなど。
また前述した通りドラムラックを用い、スタンドを必要とせず場所に困らないため、チャイナシンバルやクラッシュシンバル、ライドシンバル、スプラッシュシンバル、チャイナスプラッシュシンバルといった非常に多くのシンバル類が組み込まれている。
全て合わせると14種16枚のシンバルが設置されている。
特にチャイナシンバルに至っては3種4枚が設置され、他ドラマーに比べて使用頻度も高い。
また、クラッシュシンバルも3種4枚設置されている。
スプラッシュシンバルはドラムセットの左側に1枚、中央左寄りに1枚、中央右寄りに1枚、それぞれ異種の物がセットされている。
そしてドラムラック自体も、脚の部分をyukihiro自らが三脚式に改造するなど、拘りが伺える。
yukihiro本人は、このセットが本人にとってほぼ完成形であると公言している。


DIE IN CRIES時代は今よりもさらに点数の多いセッティングだった。
基本的には同じだがキャノンタムを設置している代わりに、左端に設置されていたメロディックタム以外は一切、設置していなかった。
ロートタムも、現在よりも多く、5つものロートタムを組み込んでいた。
また、ライドシンバルやクラッシュシンバルは使用せず、チャイナシンバル9枚、スプラッシュシンバル3枚、ハイハットシンバル4枚という、現在にも況して特異なドラムセットであった。
その点数の多さから、当時のローディーに、「お願いですからスタンドではなく、ラックにして下さい」と泣いて懇願されたという逸話まで残っている。
さらにロートタムのスタンドをシンバル代わりに使用していた。


ドラムの音作りに関しては、楽曲の中でドラムの音は小さくてタイトに、スネアとハイハットを同時に叩いたときの音が人が聴いているという意味でのスネアの音である、と考えている。参考文献は『リズム&ドラムマガジン』2004年5月号。


2001年と2006年12月にyukihiroのシグネチャー・モデルのスネアが発売された。現在、前者は生産終了、後者は200個限定生産であるためどちらも入手が難しい。


来歴
yukihiroがドラムを始めたのは高校入学の時だった。
入学祝いを貰い、それでギターを買おうと楽器店へ向かったが気に入るものが見つからず、ギターと同じフロアに置いてあったドラムセットに一目惚れした。
タムやシンバルがきっちりと組み込まれているのを気に入ったとされる。
「跳ね返りが悪くなる」という理由で防音マットも敷かずフルセットで叩き、近所から苦情が来たため、市役所の訪問を受けた事がある。
結局、叩く時間を決めることで、事態は収拾された。
そして高校入学後から髪を伸ばしはじめ、バンド活動を始めた。
しかし、バンド活動に傾倒し次第に学校へ行く意味を見失い、高校を退学しようと親に相談したところかなり怒られた為、高校を無事に卒業後、大学へ進学。
大学在学中、東京ヤンキースを結成する前のUME、NORIとGUERRILLAを結成。
目黒鹿鳴館でそのバンドのライブを見ていたZi:KillのKENがyukihiroを誘い、そのままZi:Killに加入(89/06/11)。
2枚のアルバムに参加したが、そのレコーディング終了後に脱退してしまう。
わずか加入1年半での脱退(90/12/28)。
理由は海外でレコーディング中ヴォーカルのTUSKが「こいつが居るなら俺が辞める」と言い出し、途中参加だったyukihiroが抜ける事となった。
yukihiro曰く、音楽的に極端なものを目指す自分と普遍的なものを目指す他メンバーとの間に距離やズレが生じていたとのことである。
また、この頃のyukihiroは自己主張が強く妥協を許さなかったことも不仲の原因の一つであったと言える。脱退した途端にレコード会社の人間に見放されたため、初めて訪れた海外で放り出される結果となった。(音楽と人2006年6月号参照)


そしてロンドンにいたyukihiroはKYOとバンドを組みたいと思ったため「Zi:Killをやめるからバンドをやらないか?」と現地から電話をした。
その後THE MAD CAPSULE MARKET’Sを脱退した室姫深に誘われたが、結局は室姫深が引き込まれる形になる。
まずはKYOがDIE IN CRIESと名乗りつつもソロとして「NOTHINGNESS TO REVOLUTION」を発表。yukihiroと室姫深はユニットOPTIC NERVEを組み、CDを発売。OPTIC NERVEは既にNOTHINGNESS TO REVOLUTIONに参加していたため、二人を入れてバンドとして活動することが決定。
そこにTAKASHIを加え、メジャーデビューを果たす。
なお、このときの事務所がデンジャークルーだった事から、後にL’Arc縲彳n縲廚ielに誘われるきっかけとなった。


1995年のDIE IN CRIES解散後はソロ活動と共に飯島直子のサポートドラマーとして活動をする。また、THE MAD CAPSULE MARKET’Sのリミックスに参加している。
この時期、「ドラム以外の仕事をほとんどしなかったので財産は尽きかけ住む家もなくなり、他人の家に居候する生活が一年ほど続いた」と本人は音楽と人2006年6月号で語っている。


L’Arc縲彳n縲廚iel ラルク アン シエル オフィシャルサイト
http://www.larc-en-ciel.com/

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