- 加藤 茶
-
- byドラムサイズ編集部
- on 2009/7/18
かとう ちゃ
1943年3月1日
日本のドラマー・歌手・男性コメディアン・俳優であり、ザ・ドリフターズの一員
本名は加藤 英文(かとう ひでゆき)
身長:163cm
血液型はA型(長年AB型としていたが間違いが判明)
愛称は「加ト茶」「カトちゃん」「ヒデ坊」「チャー坊」など
父はギタリストの平八郎(たいら はちろう)。
ドリフターズ 加藤茶 ドラムプレイ
昭和41年ビートルズ来日公演 ザ、ドリフターズ前座
東京都世田谷区に生まれ、すぐに愛媛県新居浜市に移る。
実父もバンドマンであった。
幼い頃両親が離婚し、物心つく前に母親に引き取られ小学校から高校卒業まで福島県福島市で妹と共に暮らす。
学法福島高校卒業後、1960年東京の叔母を頼って上京。
上京後、トロンボーン奏者を目指してスターダスターズのバンドボーイをやるが、ある日手当ての100円をマネージャーに催促したところ、マネージャーに100円を投げつけられ、頭に来てマネージャーと喧嘩してクビになる。
その後、先輩から捨てておいてと頼まれたスティックを使い練習、ドラマーとしてクレージーウエストにメンバー入りし、仲本コージ(現・仲本工事)と出会う。
1962年、碇矢長一(後のいかりや長介)と同時期に、「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」にメンバー入り。
ドリフ加入後
1964年には、ドリフの初レギュラー番組『ホイホイミュージックスクール』にて、「加トちゃんぺ」のギャグが受け、一躍人気者となる。
これは、付け髭の糊が剥がれやすかったために、度々2本指で押さえていたものがギャグとして通用したと本人が語っている。
1964年、ドリフ内部で発生したクーデター(詳細はドンキーカルテットとの分裂 を参照)の際、碇矢と共にドリフに残り、新生ドリフを立ち上げる。
新生ドリフ結成直後、当時所属していた渡辺プロダクションの先輩・ハナ肇に「芸事で飯を食っていこうとするのなら、水に係わりのある芸名にした方がいい。
お前は、みんなから「加トちゃん」って呼ばれてるんだから、加藤茶にしなさい」
と言われ、加藤茶となった。
1969年より『8時だョ!全員集合』(以下『全員集合』)にて、さまざまな一発芸をヒットさせ、1970年代前半には小学生の間でカリスマ的存在となる。
この時代のトレードマークは禿げヅラにビン底メガネにちょびヒゲであり、現在タレントショップ等で売られている彼のキャラクターグッズも、それらを装着した姿をモチーフにしたものが多い。
この頃付き人兼居候として志村けん、運転手としてすわしんじ(現・すわ親治)が加藤の下についた。
新生ドリフは、『全員集合』終了までソロ活動を行なわせなかったといかりやは語っているが、加藤のみクレージーキャッツの植木等と映画で共演していた。
志村の人気がブレイクした後は一手にギャグを受け持つ存在から、志村とのコンビで笑いを生み出す存在へと立ち位置を変化させた。このことが、『全員集合』の後番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』『KATO&KENテレビバスターズ』へつながっていく。
『全員集合』終了後
『加トケン』終了後は単独でバラエティ番組に出演する傍ら、俳優業にも進出。
NHK新大型時代劇の『武蔵坊弁慶』ではそれまでのイメージを覆す、非常にシリアスな役を演じた。
また「加トちゃんBAND」、「こぶ茶バンド」を率い、お笑いだけでなく、本来の持ち芸であるミュージシャンとしての活動も活発化させた。
「はぐれ刑事純情派」では鑑識官を演じ、「自分の警官役といえばコントの、“自転車で走ってて壁にぶつかるお巡りさん”ばっかりだったのに、格好いい鑑識官とは……」と照れていた。
2003年3月に1987年11月に結婚した夫人と熟年離婚したが、病気療養中のいかりやに心配をかけないようにとの心遣いから、このことはいかりやの死後まで公表しなかった。
最近はバラエティ番組においても「家に帰っても誰もいないんだよ」などと自らの離婚をネタにしたトークを繰り広げることが多くなった。
特に『行列のできる法律相談所』において離婚を決意した日のことを語ったときにはあまりの内容の重さに司会の島田紳助から「その続きは『その時歴史が動いた』でやってもらいましょ」といわれるほどだった。
2004年、いかりや長介が死去したことにより、ザ・ドリフターズの最古参メンバーとなった。
いかりや長介の葬儀の際には、最古参メンバーということで、年長の高木ブーに代わって弔辞を読んだ。
この中で、加藤は「これからオレたち4人で、ドリフターズ、やっていくよ。あんたが残した、財産だからね。(中略)あ、でもそっちからいきなり『全員集合』って言われても、俺たちすぐには行けないからね…」と語りかけた。
2006年10月30日、微熱と体のだるさが1ヵ月以上続く体調不良により緊急入院。
同年12月のこぶ茶バンド公演も出演中止が決まった。
病名は、“Stanford A型大動脈解離”であると本人が2006年12月26日の会見で発表、生還を果たしリハビリ中であることを語った。
実際の会見では「Standard A型大動脈解離」と言い間違えている。
この際に看病してもらったのは、熟年離婚した元妻であった。
記者会見の際にギャグを求められ、「加トちゃんペッ!」をした。
またこの手術により、長年AB型だと思っていた血液型が、検査により本当はA型であると判明した。
仕事復帰は困難とも言われたが、わずか4ヵ月で『鬼嫁日記 いい湯だな』に出演する形で復帰した。
テレビ出演
・加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(TBS) ・KATO&KENテレビバスターズ(TBS) ・ゲーム・史上最大の作戦(司会、TBS) ・やったぜ!加トCHAN(司会、TBS) ・空と海をこえて(後藤久美子主演のスペシャルドラマ)(TBS) ・ダウトをさがせ!(毎日放送・TBS系・舞台出演中の江守徹のピンチヒッター) ・加トちゃんケンちゃん光子ちゃん (フジテレビ) ・武蔵坊弁慶(NHK新大型時代劇) ・加ト・けん・たけしの世紀末スペシャル!!(フジテレビ) ・はぐれ刑事純情派(テレビ朝日 – 鑑識課主任・三波健治警部補役) ・君が教えてくれたこと(TBS – ともさかりえ扮する雨宮繭子の父・洋平役) ・歌のビッグファイト!(テレビ東京) ・パパと呼ばせて!(テレビ東京 – 一色一郎役) ・ホステス探偵危機一髪(TBS – 倉田仁役) ・女医・優縲恊ツ空クリニック縲怐i東海テレビ・フジテレビ系) ・クイズ! 加トちゃんの1! 2! 3!(フジテレビ) ・加トちゃんマチャミのお台場CHA・CHA!!(フジテレビ) ・地元発信! 東京ジモティ(フジテレビ) ・鬼嫁日記 いい湯だな(関西テレビ – ゴリ扮する山崎一馬の父・竜五郎役) ・オトコの子育て(朝日放送・テレビ朝日 – 大平万作役) ・日本史サスペンス劇場(日本テレビ – 小林一茶役、一休宗純役、豊臣秀吉役、徳川家斉役、桂小五郎役、徳川光圀役) ・インタラクTV クイズあの日その時(NHK BSハイビジョン レギュラー解答者) ・はなまるマーケット・はなまるカフェ(TBS) ・ライオンのごきげんよう(フジテレビ)
ほか。
映画
・日本一のゴマすり男(1965年東宝) ・てなもんや東海道 (1966年東宝) ・夢は夜ひらく(1967年日活) ・喜劇 大風呂敷 (1967年日活) ・てなもんや幽霊道中 (1967年東宝) ・幕末 てなもんや大騒動 (1967年東宝) ・日本一の裏切り男 (1968年東宝) ・クレージーメキシコ大作戦 (1968年東宝) ・クレージーのぶちゃむくれ大発見 (1969年東宝) ・日本一のワルノリ男 (1970年) ・日本一のショック男 (1971年東宝) ・だまされて貰います (1971年東宝) ・流れ板七人 (1997年東映) ・ビッグショーハワイに唄えば (1999年東宝)
ラジオ
・6時だョ加トちゃんのビバノンラジオ全員集合/8時だョ加トちゃんのビバノンラジオ全員集合 (ニッポン放送) ・加トちゃんのラジオでチャッ!チャッ!チャッ! (ニッポン放送) ・加トちゃんのスーパー黄金伝説 (ニッポン放送)
CM
・アビバジャパン ・東京三菱キャッシュワン ・ロート製薬 パンシロン内服液 (志村けん・ガッツ石松・松方弘樹および田代まさしと共演) ・サントリー 冷撰洋酒 (三浦友和と共演) ・サントリー C.C.レモン (歌とクシャミのみ) ・ケーズデンキ(いかりや長介亡き後初めてドリフのメンバー4人で出演) ・加ト吉 冷凍さぬきうどん、お好み焼 ・サンヨー食品 サッポロ一番からくちラーメン ・日東あられ新社 えびせんサラダ ・タイガー魔法瓶 餅つき機「力じまん」(志村けんと共演) ・シマノ(江口洋介と共演) ・はごろもフーズ こつぶ
加藤茶公式サイト
http://www.din.or.jp/~cha_/関連の記事







