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小出シンバル/小出 俊雄インタビュー 12/April/2007

Q:シンバル造りを始めたきっかけはなんでしょうか?
A:うちの工場にドラムをやっていた人が働いていて、昔は1960年代に安物のドラムセットについてくるような真鍮のシンバルを作っていたんですよ、という話をしたら「作りましょう!」って言われてね。
そこから、作れるかどうかわからなかったけれど、一応勉強してみたのです。


Q:小出さん自身はドラマーではないのでしょうか?
A:全然ないですね。(笑)


Q:シンバルを作り始めたのは何年前ですか?
A:考えだしたのは7〜8年前になりますね。


Q:実際商品として発表する迄にどれ位かかったのですか?
A:シンバルを作るのに3年程かかりましたね、実際に売るようになってからは3・4年位かかりましたね。


Q:ドラマーでない小出さんが、どういう研究をされたのですか?
A:僕自身はドラマーではないけれど、じゃあシンバルメーカーで働いている人がドラマーかというとそれは違うんですよね。
シンバル造りは金属加工ですからシンバルの音を聴く人がまた別にいればいいのです。

小出シンバル









Q:では市場のシンバルを研究した訳ですね?
A:そうです。どうやって作っているかを研究しましたね。
商品を見てどうやって作っているかを考えたり資料を集めたりして。
そして作れるという事はわかりましたが、そこからが大変でした(笑)


Q:どういう試行錯誤がありましたか?
A:一番の問題は材料でした。材料はわかったけれどもそれが手に入りませんでした。
ジルジャン社やトルコのメーカーは自社で作っているんですね。


Q:トルコのメーカーというとイスタンブールなどですか?
A:そうです、イスタンブールなどは自社で銅と錫を溶かして混ぜて、昔だったら熱してドンチンドンチン叩いて形を作っていたんです。
けれど、うちはそういう事はできないのでどうすればいいのかと考えたら、パイステやマイネルは製造過程が違うという事がわかったのですよ。それらは材料を自分の所では作らず買ってるんですよ。
まぁそういう流れで材料もなんとか手に入り、ひとまず作ってみて、大阪のドラムショップのACTというところに持っていったら「いけるんやないか!」いうことで、そっからまた研究していきました。


Q:シンバルメーカーとしてこれから目指すところは?
A:ドラマーが「こんなものが欲しいな!」って言うのを作れるようになりたいですね。
今は商品化しているシリーズは少ないけれど実はいろんな種類のシンバルが作れるんですよ。
製造過程でいうと、あまり手を使わないですべて機械で作れるようにしたい事ですね。
ジルジャン社はそれを凄くうまくやっているんです。
今さら日本人が手でカンカンカンカンやってては値段が合わないですね。特殊なものだけ、そういうのはあればいいと思います。


Q:サウンドに関するポリシーは?
A:個人的には僕の生まれは1949年で戦後すぐの団塊の世代なのですが、学生当時はジャズが流行っていましたジャズ喫茶も沢山ありまして、音楽としてはジャズが好きなんです。
当時、高校生の頃からエレキギターが出てきて、バンドが沢山出てきて、うちでもおもちゃみたいなシンバルですけども、練習用のシンバルを作ってた。それ以来、音楽にはずっと関係あるんです。
そういえば最近はジャズ喫茶が増えてきているようです。

個人的に作るのは、ちょっとあまり普通のドラマーが使わないやつをつい作ってしまう(笑)
そういうのは、トルコ系のシンバルに近いですけどね。


Q:新商品のB20 609というのは?
A:これはトルコから材料を買ってきて、うちでシンバルに加工しているんです。一般的に使いやすいシンバルだと思います。
B20というのはシンバルの材質の事で銅80%と錫20%で出来ているという意味です。
銅にスズが20%入っているのが、大体の伝統的な昔から作られてきたシンバルなんです。
スズ8%というのがあるのですけど、それはパイステのジャイアントビートや、今なら2002というシリーズで、当社の場合は503というシリーズなのです。ちょっとだけ錫が少ない事が、きれいな音を作っているのです。

小出シンバル















Q:最後に読者にメッセージをお願いします。
A:皆さん自分の音の好みが子供の頃からあって、なかなかはみ出る事が少ないと思うんですけど、そこを思い切ってはみ出して小出シンバルを買ってみてください!(笑)
前に聞いた話ですけれど、パイステの与えた影響ってヨーロッパでは結構多いらしく、クラシックなんかで使うドラもパイステだったりして、子供の頃からその音を聴いて育った作曲者がその音を指定することがあるらしいのです。「ドラはパイステを使え」ってね。
我々にとったら本当は中国のドラの方がドラらしいんだけど、新しいヨーロッパの若い世代の作曲家にしたら、それは異質な音なんでしょうね。
私みたいに子供のころからジャズ聴いてたから、そのままジャズが好きやという(笑)
やっぱりそういうものなのでしょうね。

最後にシンバルにヒビが入った時は手遅れになる前にすぐにヤスリで削ってください。多少であれば音への影響は少ないです。それは素人でも出来る事なので是非シンバルを救ってあげてください。

小出シンバル










小出シンバル Officialホームページ

http://koidecymbal.com/

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日時: 2007年04月18日 10:03 | パーマリンク


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岡部 洋一インタビュー 8/April/2007

Q:パーカッションを始めるきっかけは何だったのでしょうか?

A:高校生の頃にサンタナとかが好きで打楽器がやりたいと思ったんだけど、小学校の時に骨腫瘍という病気になって右足が悪かったんですよ。
だからその頃は松葉杖ついたりしててバスドラも全然踏めなくて、じゃあパーカッションにしよう!という事で始めはコンガを始めたんです。

Q:そして大学時代にブラジル音楽に傾倒して卒業前にプロになったんですよね?
  きっかけは何だったんでしょうか?

A:その頃は友達とか先輩から引き抜かれるんです。大学のサークルでプロになった先輩がいて「お前まあ来い」と。そのままズルズルズルズル。

Q:結束が固い上下関係というものですか?

A:いや、全然固くはない。ぼろくそ言いまくってるし(笑)

岡部洋一








Q:約10年前からROVOのメンバーとして活動をしていますが、ツインドラムという形式上結成当時サウンドメイクにおいて苦労はされましたか?

A:僕は1年ほど遅れて入ったんだけどそれまでは別のドラマーがいてバスドラの音が2つあったのです。
  僕が入ってバスドラなしでキックの様な音は手で出していたら上手くサウンドしたみたいです。
  だからそんなにサウンドメイクの面では苦労してないです。

Q:10年前と現在とでは、スタンスは変わりましたか?

A:ちょっと変わりましたね。最初はパターン決めたり組み合わせを考えたりしていただけど、いまは全然適当にしてますね(笑)

Q:以前自身のHPでバスドラがないことによって低音の責任感が別のところに移り、全体でインプロビゼーションがやりやすくなる。とおっしゃっていましたが?

A:バスドラはグルーブの一番下で「ここが頭だ!」っていう支配力があるのですけど、それがなくなるんですよ。
だから逆に言うとグルーブを他の人に押しつけない。みんながグルーブしていれば僕はそこに乗っかるし、時には支配する事も出来るし。
そういうスタンスでいるいからお互いに支配力が対等になってくるのです。
僕のセットだと低音はバスドラでもありフロアタムでもあるから、まったく低音がないという訳じゃないからね。

Q:曲でリズム転調などを積極的にとりいれていますが、どうやって作っていってますか?

A:あるモチーフを広げていく時にみんなで近寄りながら作るんです。そのときに次はこうゆう展開にしたいんだけど、じゃあ、ここはリズムを展開したらどうだろうか?みたいなのを出し合ってね。
 そうしたり、適当にプレイしてみたら「これいいじゃん!」という事でセッションみたいにして曲が出来上がってきたりしてますね。

Q:ライブでも結構忠実にそういうこと再現している?

A:している曲もあるし、全然してない曲もある。

Q:レコーディングではいかがですか?

一番新しいアルバムは1曲一時間なんだけどぶっ続けて全員でレコーディングしました。
一日一回を4日間。聞くのも1時間かかる訳だからね。
だいたい途中で寝てましたよ(笑)

けれど10年もやっていると自分達でもああこのテイクいいだろうな!っていうのがレコーディング中にわかってきますね。
盛り上がりどころも周りとコミュニケーションしながらプレイしてます。

Q:ROVOの他にはどういうバンドで活動してますか?

A:プログレ系とかジャズ系とか色々ありますが、『ボンデージ・フルーツ』というバンドがあってこれはROVOの次に古いバンドです。
あとは、ザ・スリルというアホでナイスなバンド。これは17年やってる。
メンバーは管楽器だけちょっと変わったけれどあとは変わらずやってます。皆年とったね(笑)

Q:今後、岡部洋一としての進んでいきたい方向は?

A:今ちょうどソロをやっています。頻繁ではないけれど、3~4ヶ月に1度のペースで新潟とか名古屋でライブをやってます。
一人でパーカッションソロというのは難しいですよ。打ち上げも1人でやらなきゃいけないし(笑)

Q:若手ドラマー、パーカッショニストに何かアドバイスがあれば?

A:やっぱり俺らの世代の連中は人によって全然違う、特にパーカションは全員違う。
同じフィールドで活動しているんだけどオリジナリティを持っています。今の若い人もそういうオリジナリティーを持ったらいいかなと。
本当に一緒にやってるとは思えないほど、考え方も演奏もセッティングも違う。
その様なオリジナリティを持ってもらいたいと思います。


岡部 洋一OfficialHP

http://donna-oto.com/okabe/


ROVO OfficialHP

http://www.rovo.jp/

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日時: 2007年04月10日 02:08 | パーマリンク


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水野オサミインタビュー 22/Mar/2007

VinnieColaiutaとの出会い、秘話

ヴィニー・カリウタと最初に会ったのはバークリー音楽院時代だった。70年代だね。
長い沈黙から復活したトニーウィリアムスのバンド ニューライフタイムのライブを見に行くと必ずアラン・ドーソン師の弟子に遭遇する。ヴィニー、ステーブ・スミスなどと会う事も多かった。それだけアラン・ドーソン イコールあのトニーの師という方程式が重く鎮座していたんだ。

今でも一番思い出に残っているのはニューヨークで開催されたニューポートジャズフェスティバルの目玉イベントで、あの60年代のマイルス・ディビスの黄金期(トニー・ウイリアムス、ロン・カーター、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター)一夜だけの復活企画、これは誰もが夢を見、再現を願ったユニットだったし、僕も当然ボストンからグレイハウンドのバスに乗り参加したよ、もちろん。
しかし主役マイルスはやっぱり出演しなかったんだ。過去にとらわれず絶えず新しいものに挑戦する姿勢、生き方、彼はそれを生涯貫いたやはり凄い人だね。彼の伝記にも、ずっと音楽家であり続けたければ、絶えず新しい事を試みろ!みたいな文が紹介されているけれど!マイルスのその生き様にはゾッコン惚れたよ。話が戻るけれど、そのイベントはマイルスの代りに急遽フレディー・ハーバードが出演したんだ。
今でもヴィニー、ステーブらと合うと必ずこの時のコンサートの話しで多いにもりあがるんだ。 
そのくらい、久しぶりに復活したこの時のトニー・ウイリアムスのドラミングは冴えていたし、超人的だったんだ。まじぶち切れたよ。

コンサートが終わりトニーのドラミングにノックアウトされボストン行きの夜中3時ニューヨーク発のグレイハウンドバスに乗ったら、いるんだねぇ!!!ヴィニーとスティーブ君が!!ずっとボストンに着くまでトニーの事を話したよ。
ヴィニーはトニーと同じグレッチの黄色いドラムセットを買った直後ということで思いっきり盛り上がっていてスティーブが、、こいつもなぁ!!呆れ顔をしてたな。そのころからずっとヴィニーとスティーブらと付き合っているわけだから、もうかれこれ30年は経つね。月日が経つのは早いね。

ヴィニー・カリウタとの共著による教本のきっかけは?

僕はCDとか自分の作品、アラン・ドーソン教本もそうだけれど、完成するといつもきまってアラン先生、ヴィニーやスティーブ、ディビッド・ガリバルディ初め多くのアーティストに送って意見、コメントを求めるんだ。ある年、ロサンゼルスにある老舗ライブハウス・ベイクドポテトにヴィニーが出演していたので会いに行ったら彼のドラムセットの下にどこかで見た黄色い本が置いてあるんだね!もちろん僕の教本アラン・ドーソンメソッド Vol#1だったんだけれど。彼に“チェックした?”と聞いたら“俺はまだフラムの練習をしなきゃいけないんだよ”と言ってたね。
その際に2冊目はスティーブ・スミスと一緒に書いたんだから、3冊目は一緒に書こうよ!って話を持ちかけたのが始まりかな?
アランドーソン教本vol1はルーディメンツについて、vol2はアランの有名なルーディメンタル・リチュアルのソロ集、3冊目は手足のバージョンを紹介するシナリオなんだよとヴィニーに説明したんだ。それからのヴィニーとの長い長いストーリーはカットして!実はこのプロジェクトが大幅に変更することになったんだ。まいったね!!!ヴィニー君という感じかな!

2004年にJING CHIで来日した時にヴィニーが“これはアランのメソッドではなくて俺らのメソッドだぜ!そう思わないかって”って言い出したんだ。
結果、教本は僕とヴィニーのものにこの時点で生まれ変わり、せっかくそれまで書いていた原稿もおじゃんだよ!!。まいったね!!!ヴィニー君かな!

ヴィニーが多分フランクザッパのグループに在籍していた時代に見いだしたテクニック、いわゆるリズムの転調なんだけれど、この事は新教本でもヴィニーが触れているけれど、当時それをうまく表わす適切な言葉がなかった。
リズムの転調『スーパーインポーズド メトリック モジュレーション』それはヴィニーがつけた名前なんだ。最近ではインプライド・ミュージックとか、スーパーインポーズドとかいう言葉を耳にするけれど、核心に触れる部分は誰もあえて触れられなかったんだ。それはヴィニーの専売特許だもんね。その事に関して一冊の本にしたのがこの新教本(Illusions in Rhythm for Drum set)なんだ。英語版のみで世界に向けて行っちまおう!というのもヴィニーのアイデアなんだよ。

新教本の内容は、日本でもおそらく2年後にはみんなが普通に理解している状況になると思う、今から二年後のリズムの世界を予見して生まれたのがこの教本なんだ。


教本の使い方

まずは基礎をしっかり押さえる事だね。クリックとは別の体内時計を構築していくわけだからカウント、歌う練習が必要だよ!!
そして、まず音楽的に使ってくれ!というヴィニーからの愛あるメッセージ、ドラマーのエゴを捨てあくまで音楽をまず第一優先、、、彼からのコメントを原文(英文)のままで新教本の中に紹介してるからをよく読み守ってほしいね。こういう大切な部分は原文を直接心にしまっておく方がよいね。プレイヤーの気持ち、微妙なニュアンスなんてとても日本語訳なんて出来ないし彼の心からのメッセージを英文のままで、是非体感してほしいんだ。感じてほしいという事かな?
重要な事なので、もう一度言うけれど、さあリズムの転調を使うぞ!俺はこういうことが出来るんだぞ!というドラマーのエゴは無視し、まず最初に音楽があり、その音楽の中でうまく融合して使ってほしいというのがヴィニーからのコメントなんだ。
あくまでも音楽的にという事、これは面々と続いているアラン・ドーソンの教えからきていることなんだ。

僕が最初にアランのレッスンに行った時、僕はトニー・ウィリアムスのフレーズを当然教えてほしかったし、トニー・ウィリアムズのフレーズを教えてもらえるだろうと期待していた。
しかし、実際にアラン・ドーソンから要求されたことは、いきなりスタンダードのサテンドールを歌わせられた事、これは衝撃的な本当の事実なんだ!!「おまえサテンドールを歌ってごらん」これには参ったね!!。
それとまったく同じ事の繰り返しなんだよ。まったく同じアラン流の考え方がずっと我々には引き継がれているという事だね。

この新教本を練習すれば、確かに凄いテクニックや最新の素晴らしい響きを醸し出せるだろう、又リズムの、あるいはドラムの可能性がどんどん増えてくると思うけれど、あくまでも音楽的に!というのは絶対に押さえなければいけないポイントだね。新しいテクニックというのは逆に言うと猛毒!があるから、音楽の事を真に理解せずに使うと怖い結果になるかもね!!


最後に若手ドラマーにメッセージを!

すごく面白い話があるんだけれど、この新教本を発表して一番最初に連絡があったのがなんとフランス人で次がドイツ人だったんだ。
二人目のドイツのドラマーからは教本の使い方について説明を求めるメールがよく来るんで、参ってたんだ。ところがある時「サイン書いてあと2冊送ってください。私は16歳の女性ドラマーなの!!」っていうメールが届き、びっくりしたね!彼女はかなり詳しく何ページはテンポいくつで練習するのか?と聞いてきてたからね。

インターネットの世界には非常に可能性があり、世界中のどこのだれが見ているのかわからない。
だからチャンスは沢山あるんだね。日本のマーケットだけに絞らないでどんどん世界に出て行く、そして、いずれはドラム界の松坂選手登場を多いに楽しみに期待しますね!まず僕が最初に行くけどね。


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水野オサミプロフィール

1954年2月1日生まれ、東京都出身。
教育大(現-筑波大)附属高校を卒後、十代で天才ドラマー、トニー ウィリアムス の洗礼を受け渡米しバークリー音学院に在籍する。トニー ウィリアムスの師アラン ドーソン先生に約5年間にわたり師事を受ける。同期の友人には、現在第一線で活躍しているステーヴ・スミス、ハーヴィ・メイソン、ヴイニー・カリウタ、シンディ・ ブラックマン等….多数いる。
90年代に入りサックスのマルタ、中国民族楽器奏者で映画『ラストエンペラー』 の作曲を手がけた劉宏軍、海外でもたいへん活躍している藤原清登(ベース) 若者から圧倒的に支持されているDJ.KRUSHらと国立劇場を始め、 定期的にコンサートを開いている。
1999年4月には長野オリンピック閉会式などに参加した 故島田明子代表率いる 打楽器軍団『まむれ太鼓』と共に横浜アリーナに出演し和太鼓のエネルギー、 圧倒的 パワーに大いに触発され感動した。この時のメンバーと2002年夏にCDを発売。
演奏活動の傍ら指導者として1997年より故アラン ドーソン先生のメソッド を多くの人に伝えるため、ALAN DAWSON DRUM SCHOOL IN JAPAN を設立、主宰 他にメイト音楽学院、パーカッション・ギャラリーにて後進の指導にあたった。
1986年9月2日 故トニー・ウィリアムスが特別にドラムクリニックを弟子の為に メイト音楽学院にて開催した。後ALAN DAWSON DRUM SCHOOL IN JAPANにて 1997年8月16日親友ステーヴ・スミス、同年11月22日ハーヴィ・メイソンが マスタークラスを開催した。
2002年11月19日プリンスと来日中のドラマー ジョン・ブラックウエル (日本ではウタダヒカルのドラマーとして著明)やはりアランに可愛がられた 若手の注目のドラマーがタマドラムの協力によりマスタークラスを行なった。
2003年11月23日 キューバ出身で今世界が最も注目するドラマーオラシオと
“Tribute to Ron Spagnardi, & Taku Kawai” special solo performance by  Horacio “El Negro” Hernandez を開催した。
2005年、池袋西武デパート主催のコミュニティ・カレッジにて ジャンルを超えて楽 しむオトナのための音楽”というタイトルで講座を開催。キィボードプレイヤー モー ガン・フィッシャー氏初め多彩なゲストを毎回迎え、新しい音楽のコラボレーション を繰り広げた。

著者として、1998年アラン ドーソン・ドラムメソッドVol.1を音楽之友社より出版、 99年、アラン ドーソン・ドラムメソッドVol.2をアメリカン-ロックバンドの雄、 <ジャーニー>に参加した親友スティーブ スミスと共著で出版した。
2001年4月号より7月号までの4回にわたり、アメリカの『モダンドラマー誌』のRudimental Symposiumとりあげられ、全米、ヨーロッパにメソッドが紹介された。
その際 “Dawsonisms” という素敵なネーミングがモダンドラマー編集長 故ロン氏からの粋な計らいで与えられた。2002年夏より、ネットワークE-Groupを使用した組織ドーソニズムスを主宰、 また弟子達による組織、『DAWSONISMS SCHOOL DIVISION』を監修している。

2004年 Office Mizunoよりレーベルを立ち上げ、 CD制作を積極的に行なっている。
2005年11月号『モダンドラマー誌』のCD レビューに 水野オサミのリーダー作 TENMA が紹介され、その際4つ星の評価を得た。
2006年9月教本(ヴィニーカリウタとの共同制作による)出版
タマドラム、パイステ、プロマーク(ドラムステイック)のモニターを勤めている。


2004年office Mizunoよりレーベルを立ち上げ、 CD制作を積極的に行なっている。

OfficialHP
http://www.osami.net/

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日時: 2007年03月22日 14:27 | パーマリンク


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大坂昌彦インタビュー 14/DEC/2006

バークリー音楽大学を卒業してから帰国するまで

僕はボストンのバークリー音楽大学を卒業した後にニューヨークに行きました。
何故ニューヨークに行ったかというと、ジャズといえばニューヨークという思いがあったのです。

あと、当時バークリーにいたデルフィーヨ・マルサリスやアルトサックスのマーク・グロスも学校を卒業してニューヨークに行きましたし、既にスターだったロイ・ハーグローブも同じ頃にニューヨークのニュースクールに学校を変えたのですよ。

そういう事もあり知り合いもいたし、ニューヨークに行ってみたい!というわけです。

でもね、1987年にブラックマンデーがありニューヨークは凄く景気が悪かった。移ったはいいけれど仕事なんてそうそうなかったです。
それどころか少し前にキャバレー法という1929年のいわゆる世界恐慌の頃に作られたような法律が復活して、キャバレーライセンスを許可制にして凄く厳しくとりしまったのです。
ドラムセットが駄目とかステージの上にミュージシャン3人上がっては駄目というような法律です。そうするとドラムとかは仕事が減るんです。
酷い所だと、それでもピアノトリオにしたいからってベースだけステージの上から降りてみたいな、
なんていう冗談みたいな時もあったのですよ。
僕が移った1989年はそういうのはさすがにもうなかったのだけれどそれでも大変でしたよ。ほとんどやった仕事なんてレストランとか、ボランティアみたいな仕事だよね。飯を食べさせてあげるからちょっと仕事、みたいな。
だから飯食べたさにレストランで仕事なんて結構やりましたよ。小学校や幼稚園でも演奏しました。
一番よかったのはブルーノートでの仕事でした。
まだ22歳位だったし、わりと気楽に過ごしました。


それで日本に?

その当時は今よりもビザを取得するのが難しくて、学校を卒業するとプラティカルトレーニングビザといって、学校で学んだことを実践に生かす一年間という期間を与えられるんです。実質的には初めの半年を申請して、その後もう一回申請して合計一年になります。
ところがその当時のニューヨークなんか超いいかげんで、申請しなおしたんだけど返事が来ない!でまぁそろそろ一年だなって頃に、まぁ何もないし帰ろうかなと思ったのです。
もちろん居残ろうと思えば居ることも出来ただろうけど、まぁしがみ付いててもしょうがないですしね。その当時のニューヨークは本当に景気が悪かったけれど日本はバブルで景気がよかったんですよ。
変な話、帰って次の週から全然仕事あったんです。

凄いですね!

今こんな事を言ったら怒られるけどね。
みんなおいしい仕事をしたいからトラとか回してくれるんですよ。つまりライブハウスの仕事は安いから。営業のお金のいい仕事とかがいっぱいあったんです。
なんとかパーティーとか、なんとか出版社のなんとか記念パーティーみたいな。
だから帰ってきてすぐにライブハウスの仕事がすぐにあってもう本当にすごく楽でした。


今は仕事が多くはないですよね?

今、そんなに甘くないですよね。
かつては凄くお金がよかったからみんなパーティーやってたし、パーティー仕事だけで食べてる人達が沢山いましたよ。今じゃあ考えられない。
新人を発掘しようという機運もあったしね。
そしてその後、割とすぐ今と変わりない経歴になりました。
すぐにレコーディングとかあってさ、それもラッキーでしたね。


時代がライブからレコード、そしてCDやインターネットに移り変わっていますが、

はっきり言って今は過渡期だと思うんですよ。
CDとかDVDとかそういったメディアからインターネットっていう環境に移る過渡期、ただちょっと我慢が必要だと思う。
まだやっぱり環境がまだ整ってないと思うし、やっぱり僕らの感覚として物体として目の前にある方が信頼できるっていうものがある。
ただ反面じゃあCDとかDVDとかどうなんだって話しで、ジャズにおいてそれはかなり売れないわけですよ。
僕がこの業界に入った頃と比べて今はやっぱり売れない、商品として凄く売れていない。
けれどライブは未だに沢山やっているという事で、ライブの需要というのはある。
ここでライブをやっているこのミュージシャンはどういう音楽をやっているか?を知る手立てとしてインターネットからそういう情報を、今のところは文字情報だけど音楽情報としてとれる時代になると両立するんじゃないかと。
だからはっきり言ってしまえば、ジャズだけの事を言うとCDの印税で食っていくとかDVDの印税で食べていくとかいう時代じゃあない。
音楽もあまりにも多岐に渡っているし、そういう意味ではむしろコンサート。ライブとかですね。

逆に実力主義になると?

そうそう、逆にそういう所での生き残りがおそらくこの10年位の間に来るし、そして環境もかなり整うんじゃないかと思うのです。
例えば僕の名前をどこかで見かけてこのアーティストってどんなことをやっているんだろう?そこでインターネットで検索すると、例えば過去にこういうレコーディングをしていてそれをダウンロードして聞いてみるとかね、お店からの情報が音とともに知れたりとか。
そういうサービスが提供されて、あっ!このアーティスト面白いな、じゃあ見に行ってみよう!って、
やはりバーチャルなだけでは人間満足できないから、バーチャルなものとリアルなものと共存になっていくと思うのです。

そうすると、ジャズだったりハワイアンなどもっとマイナーな音楽でも、街のバーとかフラメンコバーなどに出演しているアーティストなんかも、これなんだ?と思った時に携帯でデータがダウンロードできるようになっていると。
本当であればもっと早くそこにいくと思っていたんですけど日本が不景気だったという事と、世界的に情勢が不安定だからそこまで簡単にいかなかった。だからこの10年かな?と思ってたのが20年かかる事になっちゃう気がするけど、多分そうなってくるんじゃないかと思います。
だからジャズシーンにとってはインターネットで音源を配信できるっていう事は凄く今後の発展につながると思います。

けれどCDは本当に難しい。CDというもや媒体メディアを否定するわけじゃあないけれど、なんて言ってももう今地方のCDショップとか行っても「ジャズは売れないでしょう?」とか言って入荷しない。CDショップに行っても在庫はありません。CDショップに買いに行くような人はまだアマゾンで買うとかそういう発想がない。そう言う事を含め現在は過渡期だというように感じます。


これからどんどんアマゾンをはじめとするネットに移行していくと、

そうアマゾンだとか、あるいは他の色々なもの。
CDという媒体ではなくて音源という、コンテンツというものに変わっていくと思います。

それによってプレイの内容は変わらない?

そうなった場合ね、変わる可能性はありますよね。
例えばその頃には通信速度がアップしていたとしても10分聞いてみてどうだ?というよりはハイライトが聞きたい。ハイライトを聞いてそのアーティストを見に行きたい。
そうだとすると、よりハイライトが早く来るような演奏スタイルになっているかもしれない。

ライブではちょっと違うけれどそんな気がします。


今後チャレンジして行きたい事は?

例えばチャレンジして行きたい事は、、、
辛口になってしまうけれど、今の日本のジャズシーンの在り方って今まで僕がジャズという業界に携わってきて一番保守的な時代だと思う。

若い可愛い女の子が唄っているという事。
彼女たちが悪いという事はない、あくまで在り方が。
一見にしてわかるそれには冒険がどこにもない。

だから今までで一番保守的な時代を迎えている。

けれど、そんな中においてインターネットによってチャンスも広がるわけだからそれだけで満足はしない人たちがいる。
それに世界的にはどうかというと、そんな保守的な国ってそうないのです。
ヨーロッパなんかも、ものすごく先鋭的だし、アメリカだって新しいことにどんどんチャレンジしていく。だから僕なんかも、アメリカから帰ってくるころに次に移っていくという感じがありました。
ネクストステップという意識。

つまり、

もっともっと音楽的構築もあるようなバンド。
EQ・theMOST・Directionというバンドがネクストステップを見据えたバンド。
それって必要だと思っているんです。
「あいつらのわかんねえ」「何やってるの?」「何がんばっちゃってるわけ?」それでもいい。
なぜかというとどんな先端技術も最初は一部の人のものでしかない、それが時を経て色々な人に試行錯誤されて一般化する。
それにはやはり時間がかかる。
だけどそれを実践する人がいないと先端技術は開発されないから、やるべき人間がやる。
そういう意味では小曽根真さんとかもの凄くそうだと思いますし。
彼なんかにはもっともっと頑張っていただきたいし、もっともっとその彼の様なスタンスを持てる人が増えてくれればいいなと思います。それを実践していきたいと思います。


若手へのメッセージをお願いします

先ほども言ったように今は凄く保守的なのだけど、今度はこう考える。
僕なんかはあの頃は凄くよかったけど半面悪いところもあった、それは客がほとんど音楽を聞いていなかったという事。
お客さんは入ったが半分くらいは雰囲気で入って一杯呑んで帰ってしまうような人だった。
今はそういう人はあまりいなくて音楽を聴こうとして来ている。
だからむしろ本当は聞き応えのある物をやらなきゃいけない。

だから若手も大変だけど腐らず、本当にいいものをやっていかなきゃいけないという気持ちでやってほしい。「どうせ俺たちやってもお客さんが入らない」とか「どうせこんなことやってもウケないし」ということではなくて、いい事をやる。ウケる事というのは一時的。

特に若くてこれからという人はいい事をやる。自分が本当にいいと思っていること。
別にいいじゃん売れなくて、売れなくたっていい。
だけど、やっぱり若いときにそういうことをやって次に重ねていくことで例えば30歳とか40歳とかになって色々な自分にその枝葉がついて、色々な事ができる自分になっているかもしれない。

だからどんどんいい事にチャレンジしていってもらいたい。

クオリティーを重視して

自分がいいと思うこと、自分が信じるいいと思うこと。
それは人それぞれ違うから売れなかったり、何やってるんだ?といわれるかもしれないけれど、それはしょうがない。自分がいいと信じた事をやった結果は、売れるか売れないかは別にしても音楽人生としては絶対プラスになる。
だからいいと思う事をとにかく若いうちにはやったほうがいいと思う。信じてやったほうがいいと思います。

大坂昌彦OfficialHP
http://www.masahiko-osaka.com/

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日時: 2006年12月15日 18:20 | パーマリンク


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