水野オサミインタビュー 22/Mar/2007
VinnieColaiutaとの出会い、秘話
ヴィニー・カリウタと最初に会ったのはバークリー音楽院時代だった。70年代だね。
長い沈黙から復活したトニーウィリアムスのバンド ニューライフタイムのライブを見に行くと必ずアラン・ドーソン師の弟子に遭遇する。ヴィニー、ステーブ・スミスなどと会う事も多かった。それだけアラン・ドーソン イコールあのトニーの師という方程式が重く鎮座していたんだ。
今でも一番思い出に残っているのはニューヨークで開催されたニューポートジャズフェスティバルの目玉イベントで、あの60年代のマイルス・ディビスの黄金期(トニー・ウイリアムス、ロン・カーター、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター)一夜だけの復活企画、これは誰もが夢を見、再現を願ったユニットだったし、僕も当然ボストンからグレイハウンドのバスに乗り参加したよ、もちろん。
しかし主役マイルスはやっぱり出演しなかったんだ。過去にとらわれず絶えず新しいものに挑戦する姿勢、生き方、彼はそれを生涯貫いたやはり凄い人だね。彼の伝記にも、ずっと音楽家であり続けたければ、絶えず新しい事を試みろ!みたいな文が紹介されているけれど!マイルスのその生き様にはゾッコン惚れたよ。話が戻るけれど、そのイベントはマイルスの代りに急遽フレディー・ハーバードが出演したんだ。
今でもヴィニー、ステーブらと合うと必ずこの時のコンサートの話しで多いにもりあがるんだ。
そのくらい、久しぶりに復活したこの時のトニー・ウイリアムスのドラミングは冴えていたし、超人的だったんだ。まじぶち切れたよ。
コンサートが終わりトニーのドラミングにノックアウトされボストン行きの夜中3時ニューヨーク発のグレイハウンドバスに乗ったら、いるんだねぇ!!!ヴィニーとスティーブ君が!!ずっとボストンに着くまでトニーの事を話したよ。
ヴィニーはトニーと同じグレッチの黄色いドラムセットを買った直後ということで思いっきり盛り上がっていてスティーブが、、こいつもなぁ!!呆れ顔をしてたな。そのころからずっとヴィニーとスティーブらと付き合っているわけだから、もうかれこれ30年は経つね。月日が経つのは早いね。
ヴィニー・カリウタとの共著による教本のきっかけは?
僕はCDとか自分の作品、アラン・ドーソン教本もそうだけれど、完成するといつもきまってアラン先生、ヴィニーやスティーブ、ディビッド・ガリバルディ初め多くのアーティストに送って意見、コメントを求めるんだ。ある年、ロサンゼルスにある老舗ライブハウス・ベイクドポテトにヴィニーが出演していたので会いに行ったら彼のドラムセットの下にどこかで見た黄色い本が置いてあるんだね!もちろん僕の教本アラン・ドーソンメソッド Vol#1だったんだけれど。彼に“チェックした?”と聞いたら“俺はまだフラムの練習をしなきゃいけないんだよ”と言ってたね。
その際に2冊目はスティーブ・スミスと一緒に書いたんだから、3冊目は一緒に書こうよ!って話を持ちかけたのが始まりかな?
アランドーソン教本vol1はルーディメンツについて、vol2はアランの有名なルーディメンタル・リチュアルのソロ集、3冊目は手足のバージョンを紹介するシナリオなんだよとヴィニーに説明したんだ。それからのヴィニーとの長い長いストーリーはカットして!実はこのプロジェクトが大幅に変更することになったんだ。まいったね!!!ヴィニー君という感じかな!
2004年にJING CHIで来日した時にヴィニーが“これはアランのメソッドではなくて俺らのメソッドだぜ!そう思わないかって”って言い出したんだ。
結果、教本は僕とヴィニーのものにこの時点で生まれ変わり、せっかくそれまで書いていた原稿もおじゃんだよ!!。まいったね!!!ヴィニー君かな!
ヴィニーが多分フランクザッパのグループに在籍していた時代に見いだしたテクニック、いわゆるリズムの転調なんだけれど、この事は新教本でもヴィニーが触れているけれど、当時それをうまく表わす適切な言葉がなかった。
リズムの転調『スーパーインポーズド メトリック モジュレーション』それはヴィニーがつけた名前なんだ。最近ではインプライド・ミュージックとか、スーパーインポーズドとかいう言葉を耳にするけれど、核心に触れる部分は誰もあえて触れられなかったんだ。それはヴィニーの専売特許だもんね。その事に関して一冊の本にしたのがこの新教本(Illusions in Rhythm for Drum set)なんだ。英語版のみで世界に向けて行っちまおう!というのもヴィニーのアイデアなんだよ。
新教本の内容は、日本でもおそらく2年後にはみんなが普通に理解している状況になると思う、今から二年後のリズムの世界を予見して生まれたのがこの教本なんだ。
教本の使い方
まずは基礎をしっかり押さえる事だね。クリックとは別の体内時計を構築していくわけだからカウント、歌う練習が必要だよ!!
そして、まず音楽的に使ってくれ!というヴィニーからの愛あるメッセージ、ドラマーのエゴを捨てあくまで音楽をまず第一優先、、、彼からのコメントを原文(英文)のままで新教本の中に紹介してるからをよく読み守ってほしいね。こういう大切な部分は原文を直接心にしまっておく方がよいね。プレイヤーの気持ち、微妙なニュアンスなんてとても日本語訳なんて出来ないし彼の心からのメッセージを英文のままで、是非体感してほしいんだ。感じてほしいという事かな?
重要な事なので、もう一度言うけれど、さあリズムの転調を使うぞ!俺はこういうことが出来るんだぞ!というドラマーのエゴは無視し、まず最初に音楽があり、その音楽の中でうまく融合して使ってほしいというのがヴィニーからのコメントなんだ。
あくまでも音楽的にという事、これは面々と続いているアラン・ドーソンの教えからきていることなんだ。
僕が最初にアランのレッスンに行った時、僕はトニー・ウィリアムスのフレーズを当然教えてほしかったし、トニー・ウィリアムズのフレーズを教えてもらえるだろうと期待していた。
しかし、実際にアラン・ドーソンから要求されたことは、いきなりスタンダードのサテンドールを歌わせられた事、これは衝撃的な本当の事実なんだ!!「おまえサテンドールを歌ってごらん」これには参ったね!!。
それとまったく同じ事の繰り返しなんだよ。まったく同じアラン流の考え方がずっと我々には引き継がれているという事だね。
この新教本を練習すれば、確かに凄いテクニックや最新の素晴らしい響きを醸し出せるだろう、又リズムの、あるいはドラムの可能性がどんどん増えてくると思うけれど、あくまでも音楽的に!というのは絶対に押さえなければいけないポイントだね。新しいテクニックというのは逆に言うと猛毒!があるから、音楽の事を真に理解せずに使うと怖い結果になるかもね!!
最後に若手ドラマーにメッセージを!
すごく面白い話があるんだけれど、この新教本を発表して一番最初に連絡があったのがなんとフランス人で次がドイツ人だったんだ。
二人目のドイツのドラマーからは教本の使い方について説明を求めるメールがよく来るんで、参ってたんだ。ところがある時「サイン書いてあと2冊送ってください。私は16歳の女性ドラマーなの!!」っていうメールが届き、びっくりしたね!彼女はかなり詳しく何ページはテンポいくつで練習するのか?と聞いてきてたからね。
インターネットの世界には非常に可能性があり、世界中のどこのだれが見ているのかわからない。
だからチャンスは沢山あるんだね。日本のマーケットだけに絞らないでどんどん世界に出て行く、そして、いずれはドラム界の松坂選手登場を多いに楽しみに期待しますね!まず僕が最初に行くけどね。
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水野オサミプロフィール
1954年2月1日生まれ、東京都出身。
教育大(現-筑波大)附属高校を卒後、十代で天才ドラマー、トニー ウィリアムス の洗礼を受け渡米しバークリー音学院に在籍する。トニー ウィリアムスの師アラン ドーソン先生に約5年間にわたり師事を受ける。同期の友人には、現在第一線で活躍しているステーヴ・スミス、ハーヴィ・メイソン、ヴイニー・カリウタ、シンディ・ ブラックマン等….多数いる。
90年代に入りサックスのマルタ、中国民族楽器奏者で映画『ラストエンペラー』 の作曲を手がけた劉宏軍、海外でもたいへん活躍している藤原清登(ベース) 若者から圧倒的に支持されているDJ.KRUSHらと国立劇場を始め、 定期的にコンサートを開いている。
1999年4月には長野オリンピック閉会式などに参加した 故島田明子代表率いる 打楽器軍団『まむれ太鼓』と共に横浜アリーナに出演し和太鼓のエネルギー、 圧倒的 パワーに大いに触発され感動した。この時のメンバーと2002年夏にCDを発売。
演奏活動の傍ら指導者として1997年より故アラン ドーソン先生のメソッド を多くの人に伝えるため、ALAN DAWSON DRUM SCHOOL IN JAPAN を設立、主宰 他にメイト音楽学院、パーカッション・ギャラリーにて後進の指導にあたった。
1986年9月2日 故トニー・ウィリアムスが特別にドラムクリニックを弟子の為に メイト音楽学院にて開催した。後ALAN DAWSON DRUM SCHOOL IN JAPANにて 1997年8月16日親友ステーヴ・スミス、同年11月22日ハーヴィ・メイソンが マスタークラスを開催した。
2002年11月19日プリンスと来日中のドラマー ジョン・ブラックウエル (日本ではウタダヒカルのドラマーとして著明)やはりアランに可愛がられた 若手の注目のドラマーがタマドラムの協力によりマスタークラスを行なった。
2003年11月23日 キューバ出身で今世界が最も注目するドラマーオラシオと
“Tribute to Ron Spagnardi, & Taku Kawai” special solo performance by Horacio “El Negro” Hernandez を開催した。
2005年、池袋西武デパート主催のコミュニティ・カレッジにて ジャンルを超えて楽 しむオトナのための音楽”というタイトルで講座を開催。キィボードプレイヤー モー ガン・フィッシャー氏初め多彩なゲストを毎回迎え、新しい音楽のコラボレーション を繰り広げた。
著者として、1998年アラン ドーソン・ドラムメソッドVol.1を音楽之友社より出版、 99年、アラン ドーソン・ドラムメソッドVol.2をアメリカン-ロックバンドの雄、 <ジャーニー>に参加した親友スティーブ スミスと共著で出版した。
2001年4月号より7月号までの4回にわたり、アメリカの『モダンドラマー誌』のRudimental Symposiumとりあげられ、全米、ヨーロッパにメソッドが紹介された。
その際 “Dawsonisms” という素敵なネーミングがモダンドラマー編集長 故ロン氏からの粋な計らいで与えられた。2002年夏より、ネットワークE-Groupを使用した組織ドーソニズムスを主宰、 また弟子達による組織、『DAWSONISMS SCHOOL DIVISION』を監修している。
2004年 Office Mizunoよりレーベルを立ち上げ、 CD制作を積極的に行なっている。
2005年11月号『モダンドラマー誌』のCD レビューに 水野オサミのリーダー作 TENMA が紹介され、その際4つ星の評価を得た。
2006年9月教本(ヴィニーカリウタとの共同制作による)出版
タマドラム、パイステ、プロマーク(ドラムステイック)のモニターを勤めている。
2004年office Mizunoよりレーベルを立ち上げ、 CD制作を積極的に行なっている。
OfficialHP
http://www.osami.net/
日時: 2007年03月22日 14:27
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